死、キェルケゴール、ヘーゲル

ヘーゲルとキェルケゴールは、死に対してまったく違った態度で哲学したように見える。かたや、無視、かたや絶望。精神の強靭さの差異か? しかし、いかなる人間も、内心において、後者を無視することはできまい。ヘーゲルは、それを克服した「大人」になった…

公正であることー陸山会事件判決に思う

小沢一郎の秘書、石川、大久保、池田の三人が、東京地裁から有罪判決(政治資金規正法違反)を受けた。 小沢一郎の政治スタイル、その秘書たちとの関係、そこから臭ってくる小沢一郎の体質、これらにはどうしても嫌悪感を持ってしまう。と言うより、もし私が…

選択の時か

今日、教授に「大学院こないの?」と言われたので「実力に自信がない」と言ったら「そのくらいドイツ語ができれば、受かると思う」と言われてしまった。この秋は、ヘーゲルを始めるが、やはり大学院に行かないと、ちびちび齧るだけで終わるかなと思っていた…

現実的なものは理性的である

ヘーゲルの「法哲学批判」の、次の一節ほど議論を読んだものはないと思う。 それをネタに何万時間でも議論できる。 「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」これは、「もし現実が非理性的なものであれば、それは破滅して現実は理性的な…

科学者、技術者の倫理

情けないことに、つい最近まで気がつかなかったことを一つ。原発問題で、今回の福島原発事故まで、大量の優秀な「科学者」「技術者」が、原子力安全神話の作り手とし、あるいは擁護者として、大活躍したことは重要だ。 普通の人は、圧倒的な知識の格差により…

自由の本質

竹田青嗣の「人間的自由の条件」を読んでヒントをもらって、考えたことを、記す。 カントは、人間の自由あるいは自律というものを、叡智界から発するものとしていると思う。経験的世界は、因果律の支配する必然の王国であって、その世界にだけ存在する人間は…

反原発デモ

昨日、反原発デモが行われたそうだ。明治公園には、6万人(デモ参加者は、警察推計で約3万人)が集まったという。これだけの集会・デモは、本当に久しぶりのことだと思う。次回はもっと多数になるのではないだろうか。あまり、過激になって一般国民の意識と…

放射線許容基準の変更は何を意味するか?

3.11以前、放射能に汚染された物の廃棄が許される基準は、100ベクレルだった。それが、汚染された土の除染の許容基準は、8,000ベクレルだという。 これは何を意味するのか? 今までの基準が厳しすぎたというのだろうか? そもそも、それが「事故」をきっかけ…

どうしようもない

福島原発事故の結果、だんだん分かってきたことが色々あるが、中でもがっくりきたのは、東北の山林の汚染と、海の汚染。山で採れるきのこが、濃厚なセシウム汚染をしていることが分かった。東北の海岸は、言うまでもない。 セシウムだけで半減期は30年。あ…

原発で分かる人間のリスク感覚

これは、自分自身の反省を込めて言うのだが、人間のリスク感覚は、自分自信に身近に起き、直接実感できる範囲を超えると、急速に減衰するということだ。 原発へのリスク感覚はまさにそのことを立証している。かのヒロシマ、ナガサキでさえ、現実を体験したも…

経済同友会の考え方

経済同友会の会議で、「将来は原発ゼロ」と述べた鉢呂経済産業大臣にを厳しく批判し、原発の維持促進の方針を明確にするよう求める意見が相次いだという。発言をリードしたのは、GE日本のようだ。GEは原発産業の雄だから、無理も無いが、その他の日本企…

放射線障害の確率的因果関係

原発で働く労働者が、劣悪で危険な環境で働いていることは明らかだ。 そこで働いていた人が、10年以上たって現に癌になり、労災であるとして訴訟を起こしたが、電力会社は「相当因果関係が立証されない」と反論し、裁判所は同様の結論を下した。 これは、…

原発を容認する論理その4 倫理問題として

今朝の新聞で、ドイツが脱原発をめざした20年前、まず倫理委員会が立ち上げられ、倫理の観点から大きな枠組みが創られたという話が紹介されていた(ベルリン自由大学教授ミランダ・シェラーズ)。その報告の要点は、次のとおりである。 ①原発の安全性は高…

原発を容認する論理 その3

前回、「仮に、“戦争も辞さず”のように強硬な原発推進勢力が居る場合には、それを阻止するのは大変だ」と述べた。 しかし、戦争と違って、「原発推進には邪悪な動機は無い」と言うかも知れない。 しかし、仮に「0.5%くらいの死亡率増加は、経済発展のため受…

原発を容認する論理 その2

前回で、あげた二つの論拠A.事実として、原発の危険性は、容認し得るレベルであり、使用済み核燃料や廃棄物の処理を含め、技術開発により、問題は解決できる。B.たとえ、Aが満たされない場合でも、人類(日本)の繁栄のためには、そのリスクは受け入れるべき…

原発を容認する論理

8/27の日記の最後に述べたように、原発容認のロジックも良く考えて見る必要があるだろう。それは、下記A,Bのうち、いずれか、もしくは双方を満足する場合である。A.事実として、原発の危険性は、容認し得るレベルであり、使用済み核燃料や廃棄物の処理を含め…

原子力発電と論理の問題

今日、NHKテレビの「日本の明日のエネルギー問題」の討論を見ていて、実に複雑な気持ちになった。 簡単に言えば、原発是か非かということになるのだが、現状、未来、未来へのプロセス、の三つの区別と、本質的なことと枝葉に属することの区別が、いい加減な…

秋がきて

この夏は、ボストン北東部のウッズホールに行って、息子一家と楽しい夏休みを過ごした。日本に帰って、その酷暑にまいった。それに、溜まった仕事もしなければならなかったので、カント君にもご無沙汰してしまった。この間、ようやく微かな秋風が感じられる…

根本的なこと

カント法論は、「土地の根源的な共同的所有」が、個々の私的所有を可能とする基礎であると言っている。国家が個々の私的所有を承認し、保護するからこそ、合法的私的所有(占有)があると言う。カントの鋭いところは、この地球が球面であり、限界というもの…

過ぎ去ったもの、過ぎ去りつつあるもの

すでに過ぎ去ったものは、静的な感じがする。まるで古い写真のようだ。 動きがあっても、スナップショットのように、一場面に過ぎない。 過ぎ去りつつあるもの、それは、むしろ生き生きした現実が、一瞬後には消えていくであろうと感じる現在そのものである…

ニーチェ

カントを読んでつくづく良かったと思うのは、その結果、ほかの著作の読みが深くなったことだ。ニーチェ「悲劇の誕生」、フーコー・コレクションなどを読んで、そう思った。 悲劇の誕生は名著だ。実に面白い。ギリシャ精神とドイツ精神がぶつかっているようだ…

中国の失敗

中国で、ご自慢の高速列車が大事故を起こした。日本人の多くは「それ見たことか」と思っている。しかし、それどころではない。この事件は、恐ろしい推定を生じさせた。「一体中国の原発は、どうなっているのだろうか?」。 中国の原発で大事故が起きた場合に…

ヨーロッパ的理性とは何か

「ヨーロッパ的理性は、日本人の思い浮かべる理性とはまったく異なるもので、日本人が理解することのできない何かである」とは良く言われることだ。本当にそうなのか? 難しくてもできるとすれば、どうすればそれを理解できるのか? できないとすれば、それ…

勉強・・・新しい段階へ

T氏より、秋からはヘーゲル法哲学をやろうとのサジェスション。いよいよ、やる気がでる。「でもその前に、カントの「人倫の形而上学」を夏休み中にやっておいてください」「ヘーゲルは、カントが超易しいと感じるくらい難しいのでそのつもりで」その上「ロー…

管の脱原発表明への不思議な反応

管が、記者会見で「原発に依存しない社会を目指す」と表明したが、マスコミに現れる限りでは、大変な不評である。さまざまなニュアンスがあるが、大体整理すると次のようになる。 ①辞めていく総理が何を言っても無駄、延命のために過ぎない ②原発廃止の戦略…

アイディアを磨き、表現の場を設定する

自分が社会のためにできること、それは少しばかりの寄付金、少しばかりのボランティア、仕事、それだけではない。 そもそも、自分は、日本国民として政治参加するという、基本的な努力をしてこなかった。また、大学で学び、知的な職業についたのに、社会に向…

管総理の支持率低下

管政権の支持率低下が著しいこと、それは国民が「リセットを求めている事だ」と、NHKが伝えている。 管の失政は数えきれないほどある。松本復興相の任命辞任、玄海原発の再開容認とその否定、など等。 ただ、この間分かってきたことは、永田町と霞が関、そし…

言論の闘い

「政治哲学」といわれる領域の学問は、日本では大変遅れた領域だと思う。丸山真男などの「政治思想」研究はあるし、マルクスやマックスウエーバの研究もあるが、現実の政治に対して、市民一人一人のレベルの主体的な議論を呼び起こしたり、問いかけたりする…

NHKスペシャル「徹底討論、 どうする原発」

とても面白い番組だった。原発推進派にまったく説得力がなく、国民の多くは、脱原発の方向に大きく傾いたものと思われる。 何と言っても、福島原発の現実は余りに重く、原発推進派が、この重さをはねのける論拠を持っていない以上、脱原発の世論が深く広く浸…

死と希望

古来、人は不死にあこがれてきたが、その一方で「早く死にたい」とか、「楽になりたい」という希望を口にする者も多い。また「人は死すべきもの」であることを否定するものはいない。しかし、ある無限とある無限を比較して、どちらの無限が大であるかを比べ…