根本的なこと

カント法論は、「土地の根源的な共同的所有」が、個々の私的所有を可能とする基礎であると言っている。国家が個々の私的所有を承認し、保護するからこそ、合法的私的所有(占有)があると言う。カントの鋭いところは、この地球が球面であり、限界というものがあるから、それが必要になるということ、さらに国家による土地所有は国家間の国際法的秩序を前提とすることを指摘している点だ。だから、それは、最終的には国際法的秩序の暫定的性格に規程されていることになり、現在の所有関係は、ある意味で暫定的なものとならざるを得ない。例えば、発展途上国の多くの土地は、西洋の列強に無理やり奪い取られたままになっているが、その所有関係は歴史的には暫定的なものなのだ。
しかし、こうした議論は、「人間」による土地所有を根源的に認めている点に問題がある。カントは自然状態においては、人間の所有関係が不安定なものにならざるを得ないから、個々の所有を承認する法秩序が不可避となることを言っているが、それは次の反論に耐えられないと思う。かつて、人間は土地を人間のものとは思っていなかったのだ。それは神が偏在する自然のもの、あるいは全ての生命体のものであった。だから、人間はそれを一時的に借りて自分の役にたてることができるだけで、いつかは返さなければならないものだったのだ。
それは、土地が、その上に棲むもの全体の相互に依存的な生存条件であるという根源的理由にある。そもそも、人間が、この地球すべてを「自分達のもの」と考えて、好きなように食べ散らかし、破壊し、他の生命体を絶滅させてしまえば、人間は生きていくことができない。人間は返すべきものを排他的に自分のものと考える時、好きなようにそれを取り扱う権利があると錯覚することになる。それは、違うのだ。