死、キェルケゴール、ヘーゲル

ヘーゲルキェルケゴールは、死に対してまったく違った態度で哲学したように見える。かたや、無視、かたや絶望。精神の強靭さの差異か? 
しかし、いかなる人間も、内心において、後者を無視することはできまい。ヘーゲルは、それを克服した「大人」になったのだろうか? ヘーゲルは、国家レベルの人間精神を、キェルケゴールは、個人の個人としての精神を、それぞれ代表しているように見える。しかし、個人を完全に超克した類的人間もいないし、類的意識のまったくない個人もない。それでいいのだ。