原発を容認する論理

8/27の日記の最後に述べたように、原発容認のロジックも良く考えて見る必要があるだろう。それは、下記A,Bのうち、いずれか、もしくは双方を満足する場合である。

A.事実として、原発の危険性は、容認し得るレベルであり、使用済み核燃料や廃棄物の処理を含め、技術開発により、問題は解決できる。
B.たとえ、Aが100%満たされない場合でも、人類(日本)の繁栄のためには、そのリスクは受け入れるべきだ。代わりのエネルギーは見える将来において期待できないという前提で、原発は維持すべきだ

Aは、リスクについての事実と見通しの話しであり、Bは、リスクに対する国民の選択に関する問題である。A,Bを区別して、究明しないで議論して混乱することが多いので、注意が必要だ。

まず、Aだが、こちらも二つの見解がある。
①福島のケースは、例外的な事象であり、今後は絶対起きないといえるくらい安全である。残存するリスクについても、安全技術は日々進歩しているので、古い炉にあった危険は、今後急速に低減する。
②現在言われている「安全の基準値」は危険度を過大に見積もっている。本当は、放射能はそんなに危険ではない。

次に、Bだが、こちらも二つの見解がある。
原発は、ローコストで莫大な発電量があり、原材料の調達も問題はない。しかも、安定的に供給できる。それは原発のマイナス面を上回るプラスである。
原発以外の、自然エネルギーですべてを賄うことは不可能であり、他の化石燃料を使用することは、CO2排出というもう一つの環境破壊要因を増大させる。原発維持以外の選択はない。

これらについて考える際、我々は、「時間の経過による変化の見通し」を十分考慮に入れる必要がある。最低限、10年、30年、そして100年、1万年くらいは考えておく必要があるだろう。未来のことは、中々正確に予測できるものではないが、現在の知見の範囲で、ほぼ合意できることはあるに違いない。


この続きは、次回