指導してくれる教授たち

修士課程開始にあたり、次の科目を登録した。
山内志朗 「中世哲学(ドゥン・スコトゥスを中心に)」
②渋谷治美 「カント人間思想の総合的理解の試み」
③樽井正義 「ヘーゲル法哲学
④樽井、山内、奈良、谷、柘植 「各人論文発表とディスカッション」
順序は逆になるが、いずれも秀逸な選択と思っている。何よりも、教授たちが素晴らしい。

④は、「倫理専攻の者で参加しない者は大学院を去れ」と言うもの、ここでは、教師も学生もなく、自分の研究成果を発表し、ディスカッションする授業。半学半教(学生が教えあう)という福沢思想もそこにはある。自分も、7月に発表することになっている。
③は、自分の研究テーマそのもので、指導教授である樽井さんのもとで、最も主体的に取り組むべきものである。とりあえずであるが、ヘーゲルの原書をゴリゴリゴリとドイツ語で読み進み、夏頃までにはスピードアップして、1年以内に読みきるようにしたい。
②の渋谷氏の最初の講義を聞いたが、さすがに一流のカント学者だけあり非常に深いものがある。また純粋理性批判を「人間賛歌」として理解する視点は、自分としても納得できるものだ。そもそも、カント抜きのヘーゲルはない。ヘーゲルがカントと格闘して、それを超克しようとしたことは明らかなのだから。
①は、これが「眼からウロコ」だった。中世哲学に対する偏見を見事に払ってくれそうだ。大学のはじまりは、パリに集まった学生(その中の優れた者が教師として皆から認められた)たちが、カフェや道端で討議する組合のようなものだった。そこから形成された学生自治、自由学芸こそ、中世哲学の原点だった。アリストテレスを極め、そこからプラトン主義に染まっていたキリスト教神学を再編する過程で生れたスコラ哲学の命題集は、別の光を当てられる必要がある。特に、ドゥン・スコトゥスは非常に興味深い。へーゲルを生み出した精神的哲学的土壌である中世哲学は、どうしても、学んでおかなければならないと思った。
それにしても、山内志朗氏の、博識と諸領域への関心の広さ・深さは凄い。スコラ哲学研究から現代のアニメ、映画、音楽まで語る。実に面白い先生だ。最初の授業で、中沢新一の「はじまりのレーニン」を名著だと紹介したのには驚いた。以前読んだことがあるので、読み直したが、中世哲学との関係について書かれているところも面白いし、レーニン自体も従来とまったく違った角度から魅力的に書かれている。