原発を容認する論理 その3

前回、「仮に、“戦争も辞さず”のように強硬な原発推進勢力が居る場合には、それを阻止するのは大変だ」と述べた。
しかし、戦争と違って、「原発推進には邪悪な動機は無い」と言うかも知れない。
しかし、仮に「0.5%くらいの死亡率増加は、経済発展のため受け入れるべきだ」「相当な事故災害があっても、経済的繁栄には代えられない」「将来の人類に何か深刻な影響が出るかも知れないが、現在の我々の生活の方が大事だ」という場合、それは「邪悪な動機」ではないのだろうか?
放射線量の増加とガン発生率の増加は、明確な比例関係にあることは科学的に立証されている。ただ、ガン発生がどの人に起こることかは分らない。
それは、あたかもロシアンルーレットのようなものである。
仮に、ある町に、1000回回転する間に一発の実弾が発射される銃があるとして、それが1000人の人の輪の中心でぐるぐる回っているとしよう。今、一発の銃声が鳴り響き、一人が死んだ。
ルーレットは未だ回っており、それが何時発射されるか分らないが、1000回転する間にまた一発起こる確率である。
この見世物は、評判を呼んでおり、この町の財政はこの見世物で成り立っている。止めれば、また貧しい生活が待っている。
さあ、どうしますか?