原発を容認する論理 その2

前回で、あげた二つの論拠

A.事実として、原発の危険性は、容認し得るレベルであり、使用済み核燃料や廃棄物の処理を含め、技術開発により、問題は解決できる。

B.たとえ、Aが満たされない場合でも、人類(日本)の繁栄のためには、そのリスクは受け入れるべきだ。代わりのエネルギーは見える将来において期待できないという前提で、原発は維持すべきだ

Aは、証明されていないと思う。そして、殆どの人はその真偽を判定できない。ただ、原子力科学・技術者の判断によってなされることになる。科学者、技術者は、数万年に影響が及ぶ可能性のある、この問題に責任を持った回答ができるのだろうか? さらに、それを普通の人に、疑問の余地なく説明できるだろうか? 僕は、少なくとも現在の時点で、その安全性には「合理的疑い」が残っていると思う。
つまり、Aは成り立たない。従って、原発容認は、ただBによってのみ、容認され得ることになる。

Bのリスクについては、二つある。一つはリスクの程度問題である。もう一つは許容限界の問題である。
例えば、どんなにリスクが低くても、全人類が死滅するようなリスクは容認できるものではない・・・筈なのだが、実際に核兵器保有と使用は、現に存在する。米ソ冷戦時代は、実際に瀬戸際まで行ったし、「瀬戸際外交」は常態化していた。
さらに、人類は数千万人が死亡するような戦争を現に行ってきた。広島、長崎のように、実際に原爆を落とすような選択もなされた。
つまり、人類はこうしたリスクに意外に鈍感なのかも知れない。
しかし、人類の全てが鈍感なわけではない。被害者はそうはいかない。要するに、戦争を推進した勢力に匹敵するような、原発推進勢力がいる場合には、それを阻止するのは、大変だということだ。
続きは次回。