経済同友会の考え方

経済同友会の会議で、「将来は原発ゼロ」と述べた鉢呂経済産業大臣にを厳しく批判し、原発の維持促進の方針を明確にするよう求める意見が相次いだという。発言をリードしたのは、GE日本のようだ。GEは原発産業の雄だから、無理も無いが、その他の日本企業社長連もこれに同調したと言う話だ。GEは、50年後には世界の人口は98億人になり、そのエネルギー源として原発がおおいに貢献するという。
不思議なことに、原発の資源であるウラニウムは、ほぼ70年〜80年で枯渇するという話を抜きにしても、こう堂々と原発のリスクを完全無視するというのはどういうことだろうか? 前々回、原発容認の論理として次の二つをあげた。

A.事実として、原発の危険性は、容認し得るレベルであり、使用済み核燃料や廃棄物の処理を含め、技術開発により、問題は解決できる。

B.たとえ、Aが満たされない場合でも、人類(日本)の繁栄のためには、そのリスクは受け入れるべきだ。代わりのエネルギーは見える将来において期待できないという前提で、原発は維持すべきだ

Aが確実と言えない場合、Bが残る。
そして、Bは、さらに三つの前提からなっている。
一つは、原発のリスクは容認し得ないものという意見は無視すべき非科学的なものだということ、もう一つは原発に替わるエネルギー源は絶対になく、さらに省エネの努力は文明的生活を維持しようとする限り限界があるということ
である。

つまり、A,Bとも、原発事故が起きたとしても、人類にとって大したことではなく、たとえ起きたとしても、人類はそれを乗り越えていく、とにかく原発以外にエネルギー問題の解決は無いという前提になっているのである。

そうした意見は、一つのあり得る客観的意見のように見えるが、そうではないような気がする。

ヒロシマナガサキへの原爆投下や、局地的核戦争さえ許容する者にとって、本音で言えば、外国で起きる原発事故などものの数ではないかも知れない。日本に第二の福島原発事故が起きたとしても、それが自分の住む地域でない限り、大したことではなく、むしろ原発ビジネスのチャンスと思う者もいるかも知れない。
こういう人たちが、原発リスクを過小に見るロジックをたてるようになると、「脱原発を主張する者は反文明だ」とか、「正気ではない」などという、恐ろしく独断的な、一方的レッテル張りをしてくる虞がある。

ここまで突き詰めてくると、原発を巡る論争は簡単ではない。

経済同友会の社長さんたちの大半は、眼前の「電力料金が跳ね上がると、経営が大変だ」という程度の認識から述べているに過ぎず、突き詰めて考えているとは思えない。
いずれ、極端な原発リスク軽視論者と、長期的観点からの縮原発論者に分解していくのではないだろうか。
日本の経営者は、安全と環境の重視という面では、世界的にも先進的であると信じたい。