管の脱原発表明への不思議な反応

管が、記者会見で「原発に依存しない社会を目指す」と表明したが、マスコミに現れる限りでは、大変な不評である。さまざまなニュアンスがあるが、大体整理すると次のようになる。
①辞めていく総理が何を言っても無駄、延命のために過ぎない
原発廃止の戦略も道筋もないのに、脱原発を言うな
脱原発は無責任、できないことを言うのはポピュリズム
と言ったところか。
①については、とにかく何を言うのもいけないというのだから、まあ論評のしようもない。③は脱原発は間違っている ということなので、これは議論になり得る。②のうち、本音は③で、「戦略が明確にならない限り」という条件付きの「脱原発はいけない」というものと、「「脱原発は賛成だが、戦略を明確にする必要がある」というものがあり得る。
問題は、これらがゴチャクチャになっていることだ。
一番分からないのは、「脱原発は、すでに国民的合意で、そこには争点はないのだ」という意見だ、枝野、仙谷、岡田ら、そして自民党の殆どが、そう言っている。
これはどういう意味なのだろうか?
谷垣自民党総裁は、「千年後なら」。枝野、仙谷らは「願望」ないし「はるか未来への希望」などと言っており、要するに彼らの言う脱原発は「遠い将来、できたらいいな」という程度の希望なのである。
これは、福島原発事故の結果、強まった国民世論の「反原発」熱をひとまず避けて、熱が冷めるまでは、あまり争わず、何となく政権を取ってしまおう。と言うことではないのか?
しかし、いずれにせよ、無責任極まりない話で、ここははっきりと
脱原発」か、「原発維持」かの議論を堂々とすべきだ。でなければ、これだけの大災害にも関わらず、日本にろくな未来はない。

寺島実郎などは、この点明確で、「安全を確保しつつ、原発を維持し、原子力技術を維持強化する必要がある」と言う意見である。
それが、正しいかどうかは別にして、これなら、議論ができる。

例えば、次の論点が可能である

a.原発を維持しないと、原子力技術は維持開発できないのか?
b.原発を維持する場合の、危険性、最終処理の問題性は、本当に克服できるのか?
c.日本に、適切な立地条件はあるのか?
d.ウラン資源の枯渇が見えているのに、原発固執する理由は?
e.自然エネルギースマートグリッド等の異なるシステムへの投資とどちらが優先されるべきなのか?
f.現在の電力会社の支配体制(原発を頂点とする)のもとでは、自由で革新的なエネルギー技術が発展できないという問題性はどう克服されるのか?
g.数次にわたる下請けによる、危険な作業をさせること、そこに暴力団が介在しているという話があるが、そうした存在を必要とするような原発は、倫理上存続が許されるのか?
h.そもそも、利権構造によって成立し、発展してきた原発は、利権に依存している者によって正しく評価され得るのか?