2011-09-01から1ヶ月間の記事一覧

選択の時か

今日、教授に「大学院こないの?」と言われたので「実力に自信がない」と言ったら「そのくらいドイツ語ができれば、受かると思う」と言われてしまった。この秋は、ヘーゲルを始めるが、やはり大学院に行かないと、ちびちび齧るだけで終わるかなと思っていた…

現実的なものは理性的である

ヘーゲルの「法哲学批判」の、次の一節ほど議論を読んだものはないと思う。 それをネタに何万時間でも議論できる。 「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」これは、「もし現実が非理性的なものであれば、それは破滅して現実は理性的な…

科学者、技術者の倫理

情けないことに、つい最近まで気がつかなかったことを一つ。原発問題で、今回の福島原発事故まで、大量の優秀な「科学者」「技術者」が、原子力安全神話の作り手とし、あるいは擁護者として、大活躍したことは重要だ。 普通の人は、圧倒的な知識の格差により…

自由の本質

竹田青嗣の「人間的自由の条件」を読んでヒントをもらって、考えたことを、記す。 カントは、人間の自由あるいは自律というものを、叡智界から発するものとしていると思う。経験的世界は、因果律の支配する必然の王国であって、その世界にだけ存在する人間は…

反原発デモ

昨日、反原発デモが行われたそうだ。明治公園には、6万人(デモ参加者は、警察推計で約3万人)が集まったという。これだけの集会・デモは、本当に久しぶりのことだと思う。次回はもっと多数になるのではないだろうか。あまり、過激になって一般国民の意識と…

放射線許容基準の変更は何を意味するか?

3.11以前、放射能に汚染された物の廃棄が許される基準は、100ベクレルだった。それが、汚染された土の除染の許容基準は、8,000ベクレルだという。 これは何を意味するのか? 今までの基準が厳しすぎたというのだろうか? そもそも、それが「事故」をきっかけ…

どうしようもない

福島原発事故の結果、だんだん分かってきたことが色々あるが、中でもがっくりきたのは、東北の山林の汚染と、海の汚染。山で採れるきのこが、濃厚なセシウム汚染をしていることが分かった。東北の海岸は、言うまでもない。 セシウムだけで半減期は30年。あ…

原発で分かる人間のリスク感覚

これは、自分自身の反省を込めて言うのだが、人間のリスク感覚は、自分自信に身近に起き、直接実感できる範囲を超えると、急速に減衰するということだ。 原発へのリスク感覚はまさにそのことを立証している。かのヒロシマ、ナガサキでさえ、現実を体験したも…

経済同友会の考え方

経済同友会の会議で、「将来は原発ゼロ」と述べた鉢呂経済産業大臣にを厳しく批判し、原発の維持促進の方針を明確にするよう求める意見が相次いだという。発言をリードしたのは、GE日本のようだ。GEは原発産業の雄だから、無理も無いが、その他の日本企…

放射線障害の確率的因果関係

原発で働く労働者が、劣悪で危険な環境で働いていることは明らかだ。 そこで働いていた人が、10年以上たって現に癌になり、労災であるとして訴訟を起こしたが、電力会社は「相当因果関係が立証されない」と反論し、裁判所は同様の結論を下した。 これは、…

原発を容認する論理その4 倫理問題として

今朝の新聞で、ドイツが脱原発をめざした20年前、まず倫理委員会が立ち上げられ、倫理の観点から大きな枠組みが創られたという話が紹介されていた(ベルリン自由大学教授ミランダ・シェラーズ)。その報告の要点は、次のとおりである。 ①原発の安全性は高…

原発を容認する論理 その3

前回、「仮に、“戦争も辞さず”のように強硬な原発推進勢力が居る場合には、それを阻止するのは大変だ」と述べた。 しかし、戦争と違って、「原発推進には邪悪な動機は無い」と言うかも知れない。 しかし、仮に「0.5%くらいの死亡率増加は、経済発展のため受…