時代錯誤の中華思想 その危険な復活

べトナム沖の南沙諸島およびその海域を巡り、べトナムと中国との間で激しいやり取りが交わされている。中国の有力な学者が、ベトナム懲罰の好機だからやっちまえ見たいな論文を発表した。その中には、米国は手を出せないし、小日本(こういう言葉を使うこと自体危険だが)を威嚇する効果もあるなどという暴論もある。

もう30年ほど昔になると思うが、ベトナムが対米戦争後、カンボジアポルポト政権を倒した時、中国は「裏切り者への懲罰」と称してベトナムに侵略し手痛い反撃を被って敗退した(中越戦争)。
それ以来、中越間は仲がよろしくない。ビジネスライクに付き合っているが、こういう事態になると、瞬く間に緊張が激しくなる。
ましてや、今の中国は30年前と違って日の出の勢いの強国だ。
中国は、極端な話し、大昔の中国の支配地域をすべて潜在的中国領と見なしている可能性がある。それでいくと、ベトナムも、モンゴルも、沖縄も、そういうことになる。
中国は、それを公式には主張していないが、それは「平和友好のために我慢しているのだ」という認識のようだから始末におえない。
彼らの「死活的経済権益圏」の主張は、第二次大戦前の日本の主張と良く似ている。
こうした隣人を持ったこと自体は運命であるが、平和ボケした日本人が冷静かつ毅然とした姿勢で対応できるかどうか心配である。
平和ボケの中には、何の用意もなく、前のめりで戦争に突入してしまいそうな右翼もいる。
そういう自分も平和ボケだが。
戦争だけはしてはいけないが、蹂躙されるわけにもいかない。
戦争は、個々人の力をはるかに超えて、容赦のない悲惨をもたらす。
辛い時代が近づいてきたのだろうか?つくづく怖いと思う。