哲学は必要なんだ

世の中には、「哲学」もあるが、「何とか哲学」というのもある。自然哲学、法哲学、経済哲学・・・・などなど。また、さまざまな職業を営む人たちに対し「あの人には哲学がない」というのは大変な悪口になる。
個別学問に「哲学」が付くと、個別的な分野の話にとどまらない、何かしら普遍的な側面があるということだが、それは結局、人間という観点から見たということだ。人間という観点から見ると、学問はすべて個別性にとどまらないのであるが、それは「価値観」を根底に持つようになるからである。価値観があるからこそ、総合の視点ができるのだ。
ニュートンは、サイエンスの世界で偉大な発見をしたが、彼が本当に偉大だった理由は、彼が極めて首尾一貫した「法則」としての自然を捉えたからである。まさに、哲学である。哲学と科学を対立するものと考え、ニュートンの発見した法則は、哲学と関係ないと思うかもしれないが、そうではない。彼の自然哲学は、あまりに偉大で、アインシュタインが登場し、さらにボーアが量子力学を発見するまで、自然を全面的に説明できるものであったため、何かしら主観的・観念的なニュアンスを持つ「哲学」という面を無視できたからである。
「価値観」とは、個人が「そう思う」という価値観というだけではなく、それが同時に万人にとってもそうあるべきだというように、発展するものである。ニュートンのケースはまさにそうだった。それは、ヘーゲルのいう「客観的精神」なのである。
そもそも、個人が価値観を持って何かを主張すれば、必ず、それに反対か賛成か、あるいは別の価値観が正しいのかどうかの議論が沸き起こることになる。そうした価値観を明確にもつということが、「哲学する」ということである。
今日、誰もが哲学すべきだ。