哲学の不思議

ヘーゲル法哲学をやろうとして、その意義を考えているうちに、そもそも法や国家論を、哲学するとはどういうことなのか? なぜ法学そのもの、政治学そのものではいかんのか? が問われることになってしまった。
つまり、国家への哲学的アプローチとは何で、どういう有効性があるのか? ということである。となると、そもそも哲学に意味があるのか? ということになってくる。困ったぞ。そんなに遡っていいのかいな。