ヘーゲルか 非ヘーゲルか

ヘーゲルの論理展開の強靭さは、つまるところ、世界が本質的に「合理」であることを前提にしている点にある。世界が根源的に偶然的存在である可能性は否定できないと思うが、その立場に立ってしまうと、いかなる科学もフィロソフィーも成立しない。他方、世界に偶然の要素が無いということはあり得ない。
だから、ヘーゲル的な立場の者と、非ヘーゲル的な立場の者が論争すれば、前者が優位にたち、後者はその弱点をつくという形になり、永遠に続く論争となるだろう。
しかし、その論争自体が、世界の理論的解明の法則であると言えなくはない。従って、それもまたヘーゲル的論理を正当化することになってしまう。
ヘーゲル的立場は、結果として、ヘーゲル的立場の「合理」を推進し、深化し、より優れたものへと展開する役割を担わされることになってしまうのだ。