日本的なもの

日本は素晴らしいということを自覚することは大切なんだが、ある素晴らしいものが、日本にしかない、とか、他国にはろくなものがない、とか、という余計な話がつくと、胡散臭くなってくる。いいもの、それは日本だろうと、どこだろうと、いいもんだ。日本よりいいものが他国にあっていいとどうして思えないのだろうか? もっとも、それは国レベルの話だけではなく、郷土、家族、そして最終的には自分が特別な存在であって欲しいという願望に発している。そういう願望が強いほど、スケールが小さい話しかできないことになる。さまざまな世界の、さまざまな立場を、自分の精神世界の中に取り込み、ということは「共感し」ということだが、世界を織りなす豊かさに浸ることができないということだ。もっとも、これは自戒を込めて言うことなんだが。