情報の量・質 判断・理解

いくら情報があっても、それを選別し、判断し、意味のあるものとして理解しないと意味が無い、だから情報の量よりも考える力が大切だ・・・とは良く言われる話しなのだが、そこには二つの陥穽がある。

一つ、情報が少ない場合には、判断する巾が狭すぎ、誤りが避けられないこと
もう一つ、判断したり、理解するためのロジックやパターン、そして誤り易いケースの知識なども、情報の一種であること

ヘーゲルなんかを読むと、後者の情報量の圧倒的なことに、それこそ圧倒される。自分が考えたパターンの殆どすべてがあげられ、その意義と限界が語られている。カントの批判書等には、あまり事例があげられていないが、その抑制された文章からは、ありとあらゆる可能性を検証した跡が推測される。
やはり、無知は知に勝てない。ただし、深く考え抜かれたことは、知らない領域においても推論を可能とする。
そして深く考え抜くという事は、実は問題へのアプローチや観点、ロジック、概念などをさまざまに変えながら検討しているのだから、それ自体、知識の量(思考方法についての)を増やすことなのである。