初級論理違反ージャーナリズムの劣化

最近ーと言ってもかなり前からだがーテレビのキャスター、アナウンサー、新聞、雑誌の記事のような体裁をとった主張の、低劣さにはとてもがまんがならない。低劣という意味は、これら自称ジャーナリスト達が、初歩的な論理の約束を破っているという意味である。世の哲学者、あるいは知識人を自認する人々は、抗議の声をあげるべきだ。
例えば、「原発は極めて危険であり、現在そのコントロールは危うい状態にある」ということと、「原発を止めると、産業や生活に大きな影響がある」という二つの問題の解決は、優先順位の問題であって、そのいずれもただちに100%満足することはできないが、決断しなければならない事である。批判者は、そのいずれを重視する立場かを明確にすべきであるが、それもせずに、「両方満足させられないのは、けしからん」などという空文句を言っている。まるで子供だ。
また、確率論的に、30年以内に東海大地震の起きる確率が87%ということは、30年かけて0%から87%に確率が増加するということではなく、現在の瞬間を含め常に存在する確率である。批判者は「確率論だけでは根拠が不十分だ」と批判するのはいいが、他方では実際におきた原発事故に対しては「起きない保証はないのに、想定外だったと言い訳するのはケシカラン」と言う。未来の事象の予測に絶対確実なものはなく、現在の知見で確率的に予測する以外に道はないことは、当たり前のことなのに、無いものねだりする。
さらに、全ての原発の停止基準を明示するということと、相対的に最も危険と言われている浜岡原発を今停止すべきかどうかという話は、別の課題であり、一方が他方の条件であるということはない。ところが・・・・。

きりが無いからこのくらいにしておくが、ジャーナリズムの世界にいる人たちは、中学生にも分るこの程度の初級論理に反する発言をして、恥ずかしくないのだろうか?

不幸なできごとについて、あるいは不満足なことについて、政権に注文をつけるのはいいが、最低限のロジックを通してもらいたい。でなければ、ケチ付け以外の何ものでもなく、何の生産性もない。もう飽き飽きだ。
議論のレベルをあげるジャーナリストはいないのか!
例えば、大前研一の発言を中心に、気概のあるジャーナリストや学者の堂々たる議論を、紙面を割いて掲載したらどうだ。