僕が思うカント君の世界その1 「憧れ」こそ

カントについて何か言うだけの知識は無いが、自分が今感じていることを少しずつ述べて行こう。
しかし、あのカントのことは良くわかっていないので、僕の思うカントは、本物のカントではなく、カント君としておく。
まず、カントの言う「超越論的」という意味については、難解この上ないので後回しにして、カント君の「超越的」からいこう。
「本当はあるのかも知れないが見えない」世界としての、「超越的」世界は、例えば「神」「魂の不死」「永遠」などのように、人間にはそれがあるかないかも分からない、あったとしても認識できない世界である。人間はそれを認識できず、ただ想像することができるだけである。しかし、その想像は、真理性を保証されるものではないから、「憧れることができる」だけと言うのが正しいと思う。

倫理についてはどうか?
人間が判断する「善」は、「善でありたい」という意志の産物であるが、それが本当に善であるかどうかは分らない。善だと思っていることが、実は自分の欲望の産物だったりする話しは後をたたない。
カントは「善意志」だけが、無条件に善だという。
それが実現されるかどうか?はもちろん、ある行為が本当に善かどうかも分らないのだから、これも「憧れ」のようなものではないだろうか? 
「なんだ憧れに過ぎないのか?」と思うかも知れないが、「真理の追究」「善の追及」に対する「憧れ」を持たない者は、そもそも人間として失格だということになるのではないか? 
人間失格と言うと深刻に思うかも知れないが、「憧れ」であるから、そんなに難しいものではない。それは、全ての人間が持ちえるものだ。
カントが言うように、何もできなくてもいい、憧れは、持っているだけで価値のある世界最高の宝石のようなものであり、すべての人間はそれを持ち得るのだ。
多分、憧れは、音楽そのものである。人々の感動を呼ぶ歌曲は、人間が到達し得ない世界への憧れを表現している。と僕は思う。