帰結主義と義務論

効用主義は、帰結主義、つまり結果の方から行為の善悪を決める。義務論は、結果のいかんを問わず、「なすべきこと」をなす主義であると言われる。
効用主義は、事前に「最大多数の最大幸福」という帰結をイメージし、それに向かって行為をすることを善とするわけだが、その「帰結」が見通せない場合にはどうするのか? あるいは「帰結」が当初の想定と異なる結果をもたらした場合にはどう評価されるのだろうか?
他方、義務論においても、その結果が明白にネガティブな帰結をもたらしそうな場合には、どうするのか?