倫理、自然、社会、個人

たった一人で生きるものにとって、規範も自由もへったくれもあるまい。それどころか、言葉も不要、思考も不要、いや、そもそも、生れてから死ぬまで一人である人間は、人間であり得るかどうか疑問である。
個人は社会を前提とする。人間は、自然を前提とする。人間が自然や自然法則から完全に自由な存在であれば、人間は何ものにも制約されず、思考すれば即実現する、ということになる。
ある人によれば、哲学的なものの考え方の本質は「反自然主義」にあるという。反自然主義の立場から、思考の主体というものを追求していくと、最終的には、主体は完全な自由な精神そのものがあると考えざるを得ないのである。
自然を因果関係の必然的連関として把握し、人間がその一環に位置するとなると、人間は自由な存在ではないことになる。自由の無い人間には、いかなる責任もなく、義務も無い。
逆に言えば、必然的因果関係を超える自由な存在であることこそ、倫理の根拠ということになる。
それでは、個人と社会との関係はどうか?
複数の人間からなる「社会」というものが、単なる個人の集合体ではなく、それ自体一個の主体であるという考え方もある。
社会が完全に個人を支配しているとすれば、やはりそこには自由は無い。社会そのものを動かしている必然的因果関係が、人間の精神を支配しているからだ。