言葉、観念、概念

記憶:それは、人間が何かを思考する時のほとんどすべての材料である。知覚、現象、経験など、時間を無視して、現在のことを言っているが、実は、それはすべて記憶の世界の話なのだ。だから、その知覚を経験するということは、記憶を持つということであり、それは実は、記憶の断片を、言葉やイメージとして持つということである。それらの断片は、人間の頭脳に漂っている。そして、その断片が連結して、何等かの観念を形作るばかりではなく、ねつ造し、創造する。それは、磁力のような、習慣の作用によって、ある必然的な連関を持ち、その結果、ある意味を持つ、しかし、それは複雑系なのだ。だから、浮揚し、ふらふらと漂う、記憶の断片が、何を生み出すかは、なかなかわかるものではない。それは、常に「現在」の要請によって変形されてしまう。

記録:記憶が記録されることで、客観的に、ある固定化された断片(多かれ少なかれ)ができる。それは、何時までも変化せずに、そこにある。そこが単なる記憶とちがうところだ。その固定された要素間の結合は、首尾一貫性やら、文学性やら、何やらの、無数の創造物を生む。
人間が、文字や絵、像など、精神活動の所産を、記録するようになり、それが、共有されるようになったことの巨大な意義は、どんなに強調しても足りない。