2011⇒2012 そして未来倫理

2011から2012になった
年の区切りというものに何か意味があるのか? なんて言わない。
人々の意識に刻まれ、さまざまな営為がこのカレンダーに応じて動いている。
未来は完全に未知、不可視のように考える人もいるが、そうではない。人間の大半は、来年、あるいは未来(繰り返しも多いが)へのカレンダーに予定を入れて、逆算的に現在を生きているのだから。
しかし、未来年表まで拡張されたカレンダーを持つことは重要である。
倫理学に、「未来倫理」というのがある。倫理というのは、基本的に人間と人間の関係において、人間が何をなすべきか、を考える学問だが、相手が、未来(特に、現在の人間が死に絶えた後の)に属する存在である場合には、相互関係は成り立たないから、現在の人間の一方的な義務という形にならざるを得ない。彼らは、我々にいかなる責任追及も、また要望もできない。また、我々は我々の行為が未来に対してのみ影響する場合、さまざまな想像力を働かせなければならず、しかもそれは未来においてのみ検証されることになる。実は、僕は、本当は「未来倫理」こそ、本当の倫理なのではなかろうかと思う。
ジョージオーエンの1984年だけではない。ガリバー旅行記、2001年宇宙の旅、その他優れたSFは、すべて現代の我々に新しい照明をあて、「今、何をなすべきか?」を問うている。