キリスト教由来の思想の相対化

近現代をリードした思想は、ヨーロッパを地盤としている。
ギリシャ思想(プラトンアリストテレス)とキリスト教は、ミックスして圧倒的な影響力を持ってヨーロッパ的な文明を形成し、さらにアメリカ、アジア、中近東、アフリカ・・・を席巻して、近現代の世界をまとめあげたのだ。しかし、そのヨーロッパにおいてさえ、異教、異端を生み出す土壌は失われなかった。キリスト教を土着的な色合いに染め上げた習俗規範は数知れない。
キリスト教的ヨーロッパ、さらには、そこから発した理性のリードする文明は、「遅れた」「非合理的な」宗教的土壌としてのイスラム圏、アジア、中国などの文明をヨーロッパの従属物とすることで、その発展を阻害した。
今、中近東、中国、インド、などなどで起きている事態は、「民主化、近代化」の怒涛のような進展である。かつてそれは「先進国へのキャッチアップ」運動であり、その意味でヨーロッパ的なものへの野蛮な模倣だったし、エスノセントリズムは、キリスト教圏だけでなく、イスラムやその他の圏でも強烈となり、いわゆる「文明の衝突」が叫ばれたものだ。

しかし、すでに反省の機運も生れている。

特に、エジプトなどの中近東のフェースブック革命、トルコのモダンイスラム改革などは、注目に値する。
そんな簡単にはいくまいが、エジプトの政変だって誰も予想していなかった。私も、今年はじめの革命の1ヶ月前にエジプトを訪問したが、そんな予感のする話は聞いたことがなかった。
やがてキリスト教圏と対抗する独自の文明、すなわち「古く、遅れた」非キリスト文明ではなく、より豊かで、洗練された非キリスト文明の発展が歴史の表面に現れる可能性もある。かつて高度の文明を誇った地域が、再び世界史の中心となり、ヨーロッパの反省された思想とミックスして、新たなヘレニズムを生むかもしれない。