何のために大学院にいくのか

自分は、なぜ大学院入学を目指すのだろうか? 哲学的倫理を研究するためだ・・・が・・なぜ? よく分からないうちに、走り始めて見ると、それを目指すことの意味が見えそうな気がしてきた。
でも、そういうものらしい。意志を自覚するまえに、行動があり、それを意志と感じる。それを実証する実験結果については河野哲也氏の本にも紹介されている。「意志」が、すでに自分が選択し、アクションをしていることを、後から承諾し、自分が主体的に意志決定したかのような気にさせるものだとしたら、それは何なんだろう?その最初の選択やアクションは、何がそうさせるのか?不思議だ。論理的に考えれば、人間の意志決定というものは、意志⇒決定ではなく、決定⇒意志ということになってしまうのだが、その「決定」は、無意識の産物ということになる。その無意識界で人を操っているのは、何なんだ? ヒュームに従えば、それは情念ということになる。そして、意思決定をする時間というのは、情念を自分に納得させるための「理屈付け」の時間ということになる。