国家統治と戦争

仮にだが、人間の住める土地が無限にあるとすれば、国家はあり得るのだろうか? 人間の争いがあるからこそ、その調停者としての国家がある。争いの結果敗れても、その国にとどまらなければならない。互いにそういう状態であれば、国家は必要であり、その成立は必然的だ。しかし、争いがあり、負けそうになったら、どんどん移転してしまうことができれば、争いは消滅する。人間の間に争いがないのであれば、国家は必要ない。
ということで、現実にはある共同体にとって、その生活可能な範囲は限られているので、諸個人の間の闘争(ホッブスの言う万人の万人に対する戦争)を極限まで進めることを回避し、調停するための公権力、すなわち国家が必要になる。
しかし、その公権力は、国家間の調停をすることができない。それができるのは、世界公権力、つまり諸国家の承認する世界政府しかない。勿論、理論的には、世界の諸個人が直接世界政府を持つこともできないではない。しかし、現実には言語や共感を基礎とする国民国家を消滅させることはできそうにない。ところがところが、カントの言う世界公民という理念は、根源的には諸国家の承認する世界政府実現の理念的な基礎である。つまり、民族や国家レベルの狭隘な公民ではなく、世界的普遍的、つまり人類的な公民という思想が根底にある。だからこそ、各国別の公権力を動かして、国際平和の基礎としての国家連合を構想することは、ある意味必然的である。