かのようにの哲学

森鴎外が、子爵五条秀麿の口を借りて言った「かのやうにの哲学」は、彼が心から信じた見地である。鴎外は、その元祖がカントだと言った。
絶対の存在しないこと、すべてが相対的なものであることを、彼は認めざるを得ない。しかし、絶対があるものとしておかないと、法も学問も宗教もまるで意味の無いものになってしまう。そもそも、鴎外のよって立つ基盤が消えてしまうことになる。そこで、出てきたのが、「絶対が、あるかのやうに」考えることが正しいとする哲学である。
鴎外の語り口は、乾ききった喉を癒すため、その水が幻の水であることを知っていても、それを飲まずにはいらなかった者の告白のようだ。
それが、天からの恵みの水か、絶望を救う狂気か、誰にも分からない。
鴎外の「かのように」の哲学は、同時に「仕方ない」の哲学のように見える。
「かのように」虚構の支柱をたて、そこからガンガンと虚構の建物をたてていくような、ヨーロッパ観念論の思考方法ではない。仏像を彫る時に、木の中に現に存在する仏さまを掘り出すような感覚を持つ日本人と、天空から神の意志で、石版に十戒を打ち込まれた文字を自らの心に持つ者とは、全然違う。
前者は、まさに「かのように」とも言えるが、後者を「かのように」と言ったらたちまち火刑に処せられてしまいそうだ。
そもそも、ヨーロッパ観念論の根っこの深さは、鴎外が辟易したものではないかと思う。