原発全部停止

原発は、周期的に定期点検を受けなければならないが、点検による停止から再稼働に入るためには、地元の県、市町村の同意が必要である。福島原発事故以後、同意がストップし、このままいくと、来年春には全部の原発が停止に追い込まれるという。
それからが問題だ。原発に依存していた30%について、それを火力その他の発電でカバーできるのかできないのか? またそれはどの程度のコスト増を招くのか、確かなデータがなく、経産省、電力会社の見解があるが、有力な反論もあって、何が正しいのかよく分からない。
経産省、電力会社は、「原発停止は、日本全土の電力不足を招き、それは火力発電、その他では到底カバーできない。その結果、日常生活だけではなく、企業が立ち行かなくなり、海外生産への移転=日本の空洞化が決定的となる。大失業時代が始まるという。また、仮に火力発電等で賄ったとすれば、コストは年間3兆円増で、それは電力料金に転嫁されるから、大変なことになる・・・という。
他方、ある情報によれば、それらはすべて電力会社、経産省が、原発推進結果責任を免れ、さらに原発を維持・推進するためにでっち上げた過大な見積もりで、原発が全部止まっても、火力発電その他の余力は十分あり、長期的にはマイナス面はすべて克服される、という。
どちらが正しいか分からないが、その前にどうしても確保しなければならないことがある。それは、原発による深刻な被害や環境汚染が、将来とも決して起きないという保証だ。
それらが、仮に確保されないというのであれば、どんなにコストがかかろうと、一刻も早くそうした状態から脱する以外ない。
移行過程が、できるだけ苦痛の無いようにするのは当然だが、いかなる痛みも生じないということはできないだろう。

仮に現在の日本経済の決定的な拠点が、明日起きても不思議はないような地震活断層の上にあり、このままでは大惨事を招くことが確実な場合を想定した時、その拠点を断念して新しい構想の上に建てる以外の選択肢はなく、そこにいかなるコストが生じようと、仕方がない話だ。その危険が分った地点で、もはや選択の余地は無いのだ。それは、理性のある人間なら誰でも理解できることだ。どんなにローンがあっても、崩壊することが分っている土地の上の自宅に固執する者はいない。ましてや、それが周囲30キロの人まで被害を及ぼすようなものであればなおさらだ。


巨大地震津波を想定せず、原子力廃棄物を処理することすら解決策を持たず、深刻な事故のケースを想定しない体制の下で、建てられた原発、その原発に立脚した日本経済を構想すること自体、正常な判断力を失っているということだ。
過去の決定が深刻な誤りであった場合、それがどんなに辛いことでも、その決定の道は断念する以外ない。今は、それが検証されるべきことなのだ。
繰り返すが、移行過程をうまくやるというのは、それなりに極めて大切なことだが、それが困難だからと行って、致命的な打撃、人命、国土、子供の未来を失うような事態は避けるのが義務だ。
今は、多分第二次大戦末期の日本の状態のようなものだ。第二のヒロシマナガサキがくる前に、戦争を終わらせる必要がある。