果てしない道を歩く

果てしない道を歩くことができるだろうか?
多分、果てしないからこそ歩き続けることができるのだろう。
行きつく先が見えていても、それが絶対到達できないことが分かってしまうと、限りない絶望に襲われそうな気がする。
考えてみてくれ。
僅か5メートル幅の急流の向こう岸に、どうしても自分の行きたい場所がある場合を。自分は、どうしてもそこを渡ることができない。その絶望感を。

でも、自分の行きたい場所が果てしない彼方にあるのであれば、毎日1メートルしか歩けない身でも、常にそこに向かって前進できる。果てしない彼方だから、周囲の花を愛でたり、わたってくる風を楽しんで時間をつぶしても、大した影響は無いと思える。無限の距離のその一歩一歩を楽しむことができる。

でも、やはり、いずれ5メートル幅の河が行く手を阻むかもしれない。
その場合には、二つ方法がある。一つは、毎日幅跳びの練習をして、飛べる距離を一日1センチメートル伸ばし、500日をかけて飛ぶ方法と、川の幅が狭くなる源流まで大きく迂回して進む方法だ。
自分なら、後者の方を選ぶ。無限の距離には、いくら足しても関係がない。
行く道を楽しんで歩こう。

一言で言えば、果てしない道を、力尽きるまで、楽しんで歩くこと。それが、僕の生きる道