中曽根の原発推進論

原発推進を開始した中曽根康弘元首相が、その企画の意義について発言し、改めて原発推進を唱えている。
中曽根康弘の過去の言動から分ったことは、原発は中曽根のような人の考える「理想の日本」を構築する上で、必須のことだったということだ。

彼の発言を総合して、その胸のうちを明かせば、こういうことだと思う。
彼はこう言っている。
「私が戦争中海軍に動員されて高松にいた時、 広島の原爆雲を見た。この時私は、次の時代は原子力の時代になると直感した」(中曽根康弘「政治と人生―中曽根康弘回顧録講談社p75)
彼は、日本は第二次大戦で負けたが、その理由の一つは「原爆=原子力開発競争における敗北」であると捉えており、日本が原発を持つことは、そうした弱さを乗り越える、技術的・精神的な要であると考えていた。
また、原発を持つということは、技術的には何時でも核爆弾を持つことができることを意味し、それは事実上世界の核クラブの仲間入りをすることを意味した。
偉大な日本帝国を夢見る者にとって、原発推進は要中の要なのだ。
それだけなら、事の是非は、議論で明かされていく可能性があったが、さらに、田中角栄が、原発推進と利権、それに依存する地方自治体という利権の構造を作ってしまった。
さらにさらに、東大を頂点とする、学者達の「理念なき、原子力技術のエリート体制=研究開発費利権」が創られ、国策原発エリートが形成された。

つまり、原発は、超ナショナリスト的発想と利権システム、学者エリート主義の結合した、鉄壁の布陣によって推進されてきたのだ。
それは、ただ電力コストが安く、安定するという目的をはるかに超えた、一部の野心と欲望充足のためのものなのである。
また、忘れてはならないのは、そのために、貧しい地域の民衆が、おこぼれを餌さに利用されてきたことだ。

突き詰めていくと、その本質的なところは、北朝鮮核兵器を持ちたいと思っているのとそう変わらない。かの日米戦争突入と同様の、狂気としか言いようがない。

今回の福島原発事故は、こうした連中の危険で愚かな企画を根底から揺るがすものだった。その「安全神話」も、敗戦過程の「大本営発表」に似てきたが、事実はあまりに雄弁である。流石のエリート達も、そのあまりに深刻な結果に、衝撃を受け、意見の分裂が始まっている。

原発の無謀な推進が、日本を消滅しかねない道だった事が、白日の下に照らされたのだ。
それでも、中曽根康弘のような発想は、決して侮ることができない。

我々は美しい日本の国土を守るために、相当な決意で啓蒙の闘いを始める必要がある。子孫のことを考えれば当然の事だ。