私がフェースブックにショックを受けたこと

例によって、フェースブックについて色々と調べ、自分がそれをやるつもりで、色々と考えてみた。
ところが、フェースブックのコンセプトが自分に強烈に合わないこと、それが自分の生き方と密接に関連しているらしいことに気が付いて、非常なショックを受けた。
フェースブックが、実名による交流であ、お互いにお互いを晒して付き合うことであるという、そのコンセプトが猛烈に自分の心に抵抗感をもたらすことに、ショックを受けたのだ。
これは、きっと自分の精神の歪み、ねじれを示すものに違いないという直観が心をよぎった。
多分、自分は、どうしても、自分の正体を明かさずに、他人と擬似的交流をしたいのだろう。
何故だ?
他人から、ネガティブに思われたり、逆に異様に好かれたり、自分の像がデフォルメされて見られるのが怖いのか? あるいは、真実の自分が見えてしまうのが怖いのか? あるいは、それがさらに進んで、自分が攻撃されたり、束縛されるような気がするのが怖いのか?
そのいずれでも無い気がする。
人との交流の中に、自分が没して、自分が消えてしまうような気がする。相手に素直に自分を委ねることができない。自分も溶け込む交流の中で、相手を認め、自分のアイデンティティを形成していく、それがうまくできない気がする。
良く、日本人の自我の弱さが指摘されるが、米国におけるフェースブックの劇的成功と、日本におけるその普及の弱さは、どこか自分の不安と通じているような気がする。
でも、自分特有のこともある。何故か自分の、孤独さと不健全さを感じる

怖いのか? お前は、そうか、怖いのか。しかし、どんなに隠れていても、お天道様は見ているぞ!