もう一度、コミュニケーション

最近、無縁社会ということが言われる。
人間関係が希薄となり、昔からのつながりが消滅して、相互に助け合う関係がなくなってきたという事実。コミュニティの消滅、バラバラな個への解体、そして孤独感の蔓延。これらの現象を恐怖を持って見つめつつ、なお、人間関係の煩わしさ、それを乗り越えるエネルギーの弱さ故か、無縁化への大きな流れを止められないでいる。まるでエントロピー増大の法則のようだ。それに抵抗する努力はなされているのだが、部分的にとどまっている。。宗教の力は偉大だが、そらは必ずそれを信じない者、さらには異教徒との分裂や闘争を含んでいる。だからこそ、哲学的倫理は、強いメッセージ力を持たなければならない。宗教的な力を持ち、かつその狭さを克服するのは、やはり理性しかない。理性は、コミュニケートされなければならない。異なる感性を超えて、互いに了解できるのは、理性によるコミュニケーションしかないからだ。。