受験の意義

今年の大学受験で、携帯電話とインターネットを使った不正が発覚して大騒ぎになっている。ほぼ不正を行なった受験生が特定され、刑事告発されそうだ。山形の一浪生だそうだが、一生を棒に振る虞がある。

今まで、「少年少女時代を受験に追われるなんて、何と嫌な制度だろう」と思ってきたが、この受験生の行為は相当の罰に処す以外ないだろう。

殆どの高校生にとって、大学受験は逃れることのできないものである。受験は、出題内容が妥当でなくても、受験生にはどうしようもないし、運不運もある。たとえ1点でも及ばなければ不合格となり、結果は人生を大きく左右する。
受験には問題が多く、地獄のようなところもあるが、世の中に出ると、不合理極まりない恣意やコネが蔓延しているので、受験のピュアな厳しさは、一種爽快に感じることさえある。うまく表現できないが、爽快さには理由があると思う。

この受験生の行為は、受験というものが持つある意味で唯一の良い点を駄目にしてしまうもので、まさに最悪の行為と言える。地獄を避けようとして、さらに深い地獄に落ちたこの若者だが、地獄に落ちたその運命を甘受しない限り、さらに深い闇に落ちていくことになる。
とは言え、どんな人間にも地獄というものは存在しており、救済もまた、どんな人間にもある。彼と我の間にそんなに大きな差異があるものか。