幸せを追及するとどうなる?

カントは、幸せそのものではなく「幸せに値する」ことを目的とせよと言った。しかし、不幸せの感情はもっと酷い結果をもたらす。それは、欲求に縛られ、かつそれが得られないことを苦痛に感じることからのみもたらされるのではない。自分の中に、自分の価値を感じられないことからも生じる。自分が「幸せに値する」人間には到底なれないと知った時、人はどんなに悲しい思いをするだろうか。自分が幸せに値すると素直に思える人は幸せだ。それがカントから見て、決して幸せに値しない判定されるとしても。僕は、どんな者も救われると言った親鸞に共感する。