偶像崇拝

ユダヤ教が禁じた偶像崇拝の中には、自然物や人間の制作物だけではなく国家、神殿、富、繁栄、平和、もちろん情欲などもある。つまり、現世に存在し、人間が安心や幸せを感じる状態や希望を託する対象のすべてが含まれる。崇拝というのは、それを神聖視し、熱愛することである。神は嫉妬深く、一たび偶像崇拝をした者は、原罪を犯した者となる。神は、永遠に記憶し、許す許さないは、人間のまったく与り知らないことである。人は、ひたすら神の教えを守り、神に許しを乞うことにより、許される可能性に賭けることになる。
義務の実行としてではない幸福の追求は、カントが道徳法則から排除したものであるが、どこか、似たところがある。