哲学への憧憬

人は何故「哲学」に魅入られるのであろうか?
 それは、有限であり、依存的な存在としての人間が、永遠で、自由でありたいと切望するからである。そう切望した上で、やはり自分が有限であり、依存的であることを、自らの意志で納得し、受容したいと思うからである。
 それは、生れた時から隔絶された独房の中に居て、独房の外の世界を決して見ることのできない者が、ある日自分の状況をおぼろげながら知り、必死の思いで永遠を想像し、自由を得ようとする思いと似ている。
 彼/彼女はやがて死ぬであろう。しかし、その想像や思いは、独房の壁に刻まれている。独房の壁に言葉を刻む行為が「哲学する」ことだ。
 人間は哲学することなくして、穏やかに生きることができないのだ。
 それにしても、生まれながらに独房に居る者は、どうして自分が独房に居ることを知ったのだろうか? それを教えた者が、カントの言う「仮想的存在者」なのか?