哲学する者、哲学を弄ぶ者、

哲学は何のためにあるのか?
人類の思考方法に大きな衝撃を与えた「哲学する者」は多い。
ルソー、ロック、カント、デカルトショーペンハウエルマルクスニーチェ。パース、ジェイムス、デューイ。ジョン ロールズ
格闘した者も多い。フランクル、サイード、西田、和辻、戸坂、三木。
最近の日本の哲学者の本を読むと、知的な遊び、過去の偉大な哲学者の解釈、批判ばかりだ。彼らは何のために哲学を語るのか? せいぜい偉大な哲学者の投げかけた問いの真意を追求するだけだ。何故、自分で世界に問わないのか? 
僕は何のために哲学をするのか? 自分が変革しようとした自分、自分が変えようとした世界への自分の態度、自分が流された時代の思潮、自分が分らなくなった自分、死に対して動揺している自分、人類の希望が失われていくことに恐怖する自分、そんな世界の未来へ向かって生きる子供たちのために悲しんでいる自分。虚しさという感覚に囚われてしまった自分。
そんな自分であるが故に、連帯する「日夜苦しむ人間、動物、生命体」彼らが苦しみ、闘っている現実を、観念の世界で再現し、彼らと自分がそれを超えて超えて行こうとする情熱を、観念の世界に燃え上がらせ、希望の王国を築かん。